| 国名
正式名称はスペイン語で、Republica Oriental del Uruguay(レプブリカ・オリエンタル・デル・ウルグアイ)。通称、Uruguay(ウルグアイ)。
公式の英語表記は、Oriental Republic of Uruguay (オリエンタル・リパブリック・オブ・ウルグアイ)。通称、Uruguay。
日本語の表記は、ウルグアイ東方共和国。通称、ウルグアイ。
歴史
ウルグアイに当たる場所にはモンゴロイドの先住民、チャルア・インディオが定住していた。
1516年にスペイン人ファン・ディアス・ソリスがここを探検。 1520年にはフェルディナンド・マゼランがラプラタ川を遡上。その時、発した「山を見たり(モンテ・ヴィデオ)」という言葉が首都の名前の由来である。
平坦な土地が続き、特に鉱山資源もないこの土地は殖民が遅れ、17世紀にポルトガルが「コロニア・デル・サクラメント」を建設。スペインが追随して「モンテビデオ」を建設した。
両国の係争地になったが、その過程で先住民は絶滅し、最終的にはスペインの植民地となった。名称は「ウルグァイ河東岸地帯(Banda
Oriental del Uruguay)」とよばれた。両国の戦争で先住民チャルヤ・インディオが絶滅した。
1811年からホセ・ヘルバシオ・アルティガスによるスペインに対する独立運動の機運が高まったが、ブラジルとアルゼンチンとの係争地帯になり、1821年からはブラジルに一時的に編入され「シスプラチナ州(「ラプラタ河手前の州」の意)」と呼ばれた。
1828年8月27日、イギリスの仲介にブラジルとアルゼンチンの間でモンテビデオ条約が結ばれ、これよりに「ウルグアイ共和国」として独立を果たした。
独立後は政情不安が続いていたが20世紀に入り、オルドーニェス大統領によって社会経済改革行われ、今の国家体制が整った。
第二次世界大戦後は、都市ゲリラの鎮圧に功績のあった軍部が政権を握ったが、1985年には民政に移った。 関連項目 ウルグアイラウンド
世界遺産:コロニア・デル・サクラメントの歴史的街並み
The Historic Quarter of the City of Colonia del Sacramento
政治
O.N.U., O.E.A., ALADI, MERCOSURの加盟国。
立憲共和制であり、大統領が国家元首となっている。また、ウルグアイの1967年憲法は大統領に大きな権限を与えている。大統領の任期は5年であり、副大統領と組で選挙によって選出される。なお、大統領の再任は禁止となっている。
議会は二院制で、上院の定員は31名、下院は99名であり、任期は5年となっている。
2004年10月31日(現地時間)に実施された大統領選挙で、社会党、共産党を含む20以上の左翼・中道勢力を結集した『進歩会議・拡大戦線・新多数派』(通称:拡大戦線)のタバレ・バスケス(Tabare
Vazquez)候補が、与党である国民党のホルヘ・ララニャガ(Jorge Larranaga)候補を抑え当選した。それにより1852年の独立以来、コロラド党、国民党という親米保守の二大政党による独占支配に終止符を打った。
地理
ウルグアイは南アメリカ大陸で2番目に面積が小さな国であり、ほとんどの土地は平らな荒れ地と、緩やかな丘の風景が広がっている。また、海岸近くには肥沃な耕作地帯が広がる。多くは草原となっており牛や羊が飼育されている。
河川
ウルグアイ川
ラプラタ川
国民
ウルグアイはスペイン語を話すラテンアメリカの国である、多くのウルグアイ人はたとえイタリアの血統が入っていようが、背景としてスペインの文化を共有する。総人口の88%がヨーロッパ系の住民で、主要少数民族としてはメスティーソが8%、黒人が4%を占める。先住民はほとんど殺戮された。
多くは、カトリック (66%) を信仰し、少数ながら、プロテスタント (2%)、ユダヤ教 (1%) の信者がいる、そして残りの31%が無信仰である。
|




|